子育てに科学を

美しい日本は どこへ行ってしまったのでしょうか。政治・経済・社会・教育・・・その根底において失ってしまったもの、それは日本人の精神性・道徳ではなかったでしょうか。急増する育児放棄、頻発する家族間殺人、繰り返される虐待死。キレる子供にキレる大人・モンスターペアレンツの登場・・・ 日本の社会は確かにおかしい。おかしいとわかっているのに、決定的な対処法が見い出せないでいます。 

登山では「迷ったら引き返せ」という言葉があります。おかしいと思いつつ前に進んでは深みにはまり、時には命取りになるからです。 

教育の施策が朝令暮改では困りますが、おかしいと思ったら元に戻って検証することが必要ではないでしょうか。しかしながら日本の教育行政は、ひたすら前進?し続けています。 

ここまで対処法が見つからないのは、正しいと思い込んでいる道を疑ってみることです。結局、犯人は未だに見つかっていません。それでは真犯人は、家庭()でしょうか?いいえ、違います。犯人は形のない教育(子育て)そのものだったからです。子供が幸せになるために、どの親も一生懸命です。それなのに、子育ての手順・順序を間違えたばかりに不幸な結果を招いてしまったのです。 

「その子育ては科学的に間違っています」の著者 國米欣明先生によりますと戦後の<間違った子育て>が今の荒廃した社会をつくり出したとのことです。その本によりますと、脳の「自己抑制力の中枢」の発達には臨界期の存在が突き止められ、その臨界期は3歳であることがわかりました。

この臨界期は、様々な分野にも存在することがわかっており、音感、語学、運動・・・と、その時期までに身に付けておかないと後になってからは身につかない(習得が難しい)という時期が臨界期です。

 

「三つ子の魂百までも」

子育てにおいては、3歳までに「自己抑制力」を育てる教育をしてこなかったことが、キレる子・ひきこもり・モンスターペアレンツ達を生み出したと科学的に結論付けています。

つまり「三つ子の魂百までも」のことわざは、最新の脳科学よりも経験知が進んでいたことになり、改めて驚かされます。このことわざは、外国にも似た言葉が多数あるそうです。

70年代から80年代にかけてのアメリカでは、今の日本と同じような事態が発生しましたが、その後の研究によって原因をようやく脳科学が解明したのです。

キレる子、引きこもり、モンスターペアレントは、戦後、アメリカから日本に導入され広まった誤った育児法「子ども中心主義」の被害者ともいえるでしょう。また、軽度発達障害の子供達もどうも先天的ではないらしい、という専門家も現れてきました。

つまり、3歳までの教育がヒトから人間(性)を形成する上で重要な期間なのです。学力を築く上での土台、躾(しつけ=人間としてのたしなみ)がこの期間に完成されるからです。人間としての土台が しっかりしていなければ建物は揺らぎ、やがて崩れてしまいます。

これまで幼稚園教育では、長きにわたり自由な遊びを通して学んでいく視点が強調されてきました。さらに、行き過ぎた自由や個性の尊重が声高く叫ばれたため、自分勝手で傍若無人な振る舞いのキレる日本人が増え、奇怪な犯罪・事件が頻発するようになりました。

実際、最近の子供に関する事件を考えますと、人格障害?・発達障害とみられる子供(大人)による事件が増えているようです。不登校の児童・生徒の割合も高止まり状態で、不登校生徒の受け皿の学校では、発達障害の子が増加していると警鐘を鳴らしています。

脳科学者や精神科医によりますと、乳幼児期の母子の関わりが「人間」になるためにはきわめて重要なようです。生まれてから1歳位までの間に母親とのコミュニケーションに問題があると、情緒障害児になるリスクがとても高まるといわれています。

このような乳児期の母子関係の愛情不足により、先天的な発達障害とは異なる後天的な障害として愛着障害が近年注目されてきました。この障害は放置されると一生涯にわたって本人だけでなく、周りの人々や家族も苦しめることになります。具体的には幼少期には精神が不安定で自閉的な症状や多動的な行動が見られたり、児童期には動機が不確かな凶悪事件を引き起こすこともあるようです。思春期には異性に関心があまり向かず、その後も異性との恋愛感情を欲することもなく、当然、結婚にもつながらないこともあるようです。未婚化に少子化、さらに現代の学生が「恋愛離れ」と言われる遠因に、この愛着障害があるのかもしれません。

2019年、我孫子市私立幼稚園こども園協会主催の教員研修会で、我孫子市こども発達センター所長 遠藤美香氏に愛着障害等の講演をして頂き、そのなかで、ここ2.3年の子供達の著しい変化を指摘され、大変心配されていました。また、市内産院の助産師さんからは、出産したばかりなのに母乳を与える際に、携帯・スマホをいじって子供に話しかけない母親がとても多くなってしまったと嘆いておられました。

ところで、成長したモンスターペアレント達は、常識を逸した要求を教師や学校に対してだけではなく、息子や娘の職場や役所、商店・病院にまで非常識な要求をするようになってきました。彼らは子供におもねる子育てをしてきたため、その子供達は成人してからも忍耐力が脆弱で、職場においても様々な問題を引き起こしているようです。よく休んだり、嘘をついたり、権利ばかりを主張したりする若い社員は身近にいませんか。

また、親自身が「自己抑制力」が弱い場合、虐待などを誘発し、その子供の成育がとても心配です。キレやすい子がキレやすい親に。近年における虐待の増加は親自身も昔虐待を受けていたという虐待の連鎖も指摘されるようになってきました。

「2歳まではテレビを消しましょう」 という標語も日米の小児科医学会から以前より警告されていますが、「スマホ育児」なる言葉も登場するほど手抜き保育が横行するなか、その子供達は言葉の発達が遅れ、さらにすべての発達が遅れるだけでなく、就学時になっても年齢相応の発達に至らない場合もあることが報告されています。

こうしてみますと、幼児期までの教育(家庭教育)こそ肝心、要です。躾とは、人間としての礼儀作法の基本、人間としてのたしなみを身につけさせることで、たいへん大事な人間としての土台づくりなのです。

布佐台幼稚園では、家庭と協力しながら集団生活のルールや規範意識を養い、躾を大切にした教育に取り組んでおります。

脳を育てる

さて、教育とは本来、子供の能力を開花させるためのものです。学力(読み書き計算など)が低いので‘高める’=ひたすら反復練習をする(誤りではありませんが・・・)ということは、病気にたとえると対症療法といえるかもしれません。

平成20年の中教審の主題は「言語力の育成」でした。具体的な方策は、文章を書かせたり、論述させたり、本を読ませたり、言語教育の機会を増やして、学力向上を目指すとしていますが、本当にそれで学力は大きく向上するのでしょうか。教育論議に予防医学的な発想がほとんどあがってこないことは残念でなりません。どのような教育が子どもの能力を高められるのか、肝心なこの点についての教育論が欠落しているのです。これまで日本の教育界は欧米で実験的に実施されてきたものを‘先進’と称して日本に導入してきました。これは明治以来、現在も変わっていません。失敗した教育(総合的な学習⇒英国で失敗)もあったはずなのに。

では、どのような教育が子供の能力を高められるのでしょうか。様々な教育論がありますが、乳幼児期の教育(0~9歳位)が重要だといえます。特に3歳までの子育てが社会的動物 人間として重要であることが科学的に明らかにされています。

読み書き計算を学ぶこと、目に見える学力(点数学力)をつけることはもちろん大切ですが、それ以上に「見えない学力」(規範意識・道徳などの人間性)こそ大切です。入試には関係ないからと後者をおろそかにするような家庭で育った子供は、将来、私利私欲に走るのは目に見えています。何のために学ぶの。何のために働くのか。世のため、他人のために、という気持ちが薄らいでいる気がしてなりません。外国人が日本人を絶賛するのは、この見えない学力が圧倒的に高いレベルにあるからでしょう。

「見えない学力」は躾に始まります。つまり、乳幼児期の子育てが一番重要なのです。しかし、残念ながら戦後の日本ではあまり尊重されておりません。

本園で創立以来取り組んでいる「科学的幼児教育」(適時教育)は、小学校教育のような「見える学力」を幼稚園児にするのではなく、学力を築く上での土台、躾の基本をしっかりすることです。さらに、「脳を育てる」ということに重点を置いています。

 

なぜ今、言葉の教育が必要なのか

「言葉は自然に身につくもの」とされていた昔の時代を振り返ってみることにします。

昔、兄弟は3人以上いて、祖父母たちと同居しており、おじやおばとの交流もある。空き地では、異なる年齢の子どもが数人から十人程度群れて遊び、ガキ大将もいる。こうした環境の中で、自分の置かれている立場や順位、規範、社会性を自然に身につけられたのです。

近所には個人商店があり、かみなり親父がいて、自分の成長を見守ってくれる近所の人々がいて、地域の教育力もありました。そのような環境の中で、兄弟間・両親と祖父母間の上下関係、嫁姑の確執、祖父母への敬語、本音と建前の使い分け、年齢による上下・服従関係、年下への配慮、家訓、しきたり、善悪の判断、毎日の買い物による店主との世間話しや値切り方、・・・・それらの存在によって言葉は育まれていたはずです。

「子どもの社会力」について門脇厚司筑波大学名誉教授は、子供の最高の友達は大人であると。たくさんの大人がその子供と関わることによって子どもの社会力は育まれていくと話されています。

現在の環境はそれらがほとんど無くなり、スーパーでの買い物もチケットの購入も無言、公園での遊びさえ無言で電子ゲームをする有様です。美しい言葉を失った子供たちは、インターネットによるいじめをSNSやメールで汚い言葉ばかりを書き並べています。

今の子供たちに必要なのは、美しい言葉、美しい日本語なのです。

美しい言葉 は 美しい心 を育みます。

 

脳科学に基づいた国語教育を

このような環境の中、国語教育が注目されています。論語や名文の暗誦・朗誦が、脳の前頭葉を活性化することが明らかになってきたのです。ただし、その文章の理解度はあまり関係がないそうです。振り返りますと、なんとこれは、昔ながらの日本の国語教育ではありませんか。

日本語は、欧米のアルファベットと違い、漢字仮名交じり文です。「ひらがな」は一文字ごとに意味を持たない音で成り立っており、アルファベットに似ています。声に出さないと同音異語はまったくわかりません。しかし、「漢字」はそれ自体に意味を持った文字なので理解しやすいのです。

欧米諸国の国語の授業時間数(総授業数の国語の割合も)は、日本よりずっと多く確保していることからも意味を持たない文字が難しいのは明らかです。

最新の脳科学が解明しつつあるのですが、幼児期の脳は、「ひらがな」のように音声を聞いて理解する、主に左脳が働くようなことは不得手で、「漢字」のように目で理解する右脳が中心に働くことが得意なのです。つまり、幼児にとって 「漢字」は「ひらがな」より易しいのです。

言葉の世界が広がれば 心の世界 も広がる

感情の表現は、語彙(言葉数)の多さで決まります。また、‟語彙力こそが教養である“そうです。(齋藤孝氏 明治大学教授)

そこで、私たちは今一度、幼稚園教育について考える必要があります。そもそも人間の脳は、2歳で60%、4歳で80%が完成されます。3歳・4歳・5歳は 脳の発達の最盛期です。この時期を逃してはなりません。

わが国の教育は、古来より寺子屋にも見られるように、漢詩や論語などの暗記・暗誦が必須 とされてきました。戦前までは国語教育が重視され、小学校では週に10時間以上もありましたが、今はたったの4時間程度。さらに週5日制で、公立の小中学校は1年間のほぼ半分が休日で、授業日数も先進国では最低レベルです。これでは国語力が落ちてあたりまえです。言葉の力が低ければ他の教科も理解ができず、総合的な学力も当然低くなります。

ゆとり教育から転換した新しい学習指導要領でさえ、授業時間数はOECDで真ん中ぐらいに過ぎません。大学進学率も日本は50%を超えたところですが、PISAでトップのフィンランドでは90%を越えています。  

学力低下よりも怖い体力(運動機能)低下

ロコモティブシンドローム(症候群)とは、これまで高齢者が対象でしたが、近年、「子供ロコモ」と言われるほど子供にも多くみられるようになりました。この症候群は運動器機能調整力不足のため、体が硬かったり、バランスが悪かったり、骨粗しょう症などの病気を引き起こすものです。この子供達の最大の原因は運動不足です。特に、パソコンやゲーム機の普及によって、室内で動かずに遊ぶようになったことが影響しているようです。また、食生活の乱れもあり、両親が共働きのため3食をしっかりと食べる習慣が崩れてきたように思われます。この子供ロコモは、成人してからの就労や日常生活に支障が来す可能性が高い恐ろしいものです。運動能力・運動経験は子供においても2極化が進んでいます。

文部科学省の体力・運動能力の推移をみますと、おおむね年齢の低い子供ほど運動能力低下が顕著で、それは平成元年あたりから下降の度合いが高まっているのがわかります。これは、ゆとり教育導入の年とほぼ重なります。近年は若干の運動能力の向上が見られますが、ピーク時に比べますとかなり劣っています。もちろん幼稚園児の運動能力(神経)も例外ではありません。

学力低下問題では、私の経験では中学生は平成5年あたりから1年生(1学期)における成績がベルカーブ(正規分布)ではなくなり、できる層とできない層にピークが1つずつある2こぶラクダ様(徐々にこぶが離れていく)になっていきました。この2こぶラクダは中学3年生では一般的に見られた傾向でしたが、このことは、このころからすでに小学校で学習意欲をなくしてしまっているか、低学力層が非常な勢いで増えていることを示しています。しかしながら、絶対評価に基づく通知表においては、おしなべて高い評定がつけられています。(全員が理解できる内容の教科書のはずなので、全員が最高評価をもらっても本来おかしくないのですが・・・)

各種調査によると、日本の中学生の約4割が学校の外で勉強をしないことが明らかになっています。近年、私立の小・中学校へ受験する子供の数が増加に転じました。少子化にもかかわらずです。裕福だから私立を選ぶのではなく、学習意欲の低下や学習内容・いじめ等の問題がある公立にいかせたくないから、という一部の保護者の想いも強いようです。また、大学生の2人に1人は全く読書をしないという2018年の統計もあり、学力崩壊を裏付けているようです。

ところで、私達人類は母の子宮の中で系統発生的に魚からサルへと進化し、ヒトとなって誕生します。ヒトと哺乳類との違いは第3の脳といわれる大脳新皮質の体積と脳における前頭葉の割合がたいへん大きいということです。さらに、他の動物と違って人間は未熟な状態で生まれてきます。脳も同じです。これは、人類が長い年月によって獲得した生き残るための進化です。未熟な状態では当然一人では生きて行けませんが、環境に適応できる能力を数年かけて十分獲得することによって、他の哺乳類には見られない前頭葉(言葉・人間性・情動のコントロール)を発達させる事ができたのです。

つまり、前頭葉は恵まれた環境による豊かな刺激を受け続けることで、発達させることができますが、逆に、貧しい環境では十分に発達できないことは明らかです。

運動能力においても同様のことがいえます。運動というと筋力や筋肉を連想しがちですが、運動能力としての指令を出しているのは脳です。

幼児体育(小学校体育)の専門家・教師が知っている事実として、10年前に比べ、全国の幼稚園児の運動機能・体力の低下が顕著であるということです。10年前、運動会でできた種目が今はできなかったり、小学校の体育の授業が成立しないほど運動能力が低下していたり・・・。その大きな原因としてあげられるのは生活環境の変化と、遊びの変化です。

生活が楽になり子供は筋力を使わなくなりました。バリアフリーにより危険を感じ取る能力も低下しました。身の回りのものの操作も、ひねる・回すからオン・オフだけになりました。遊び場・外遊びも減り、室内遊び・TVゲームばかりが目立つようになりました。

このような環境は脳の発達にとって、とてもとても貧しい環境といえるのです。

運動機能の獲得にも前述の臨界期があり、7~8歳がそのピークです。つまり幼稚園頃までの運動神経・運動機能(敏捷性・巧緻性)の開発がとても重要なのです。具体的には、運動面における機能獲得を系統的に捉え、ヒトの運動機能の獲得過程をサルに学ぶことです。昔、ヒトが樹の上で生活していた事を思い出してください。

・樹に登る(身のこなし・敏捷性・握力) ……………………… ジャングルジム

・樹の枝から枝へ(振り子・遠心力・バランス) ………… うんてい・ブランコ・平均台

・崖から下る、跳ぶ(バランス・着地・スピード) ……… すべり台

・川辺・海辺の体験(水・土の性質) ………………………… 砂場

・道具の利用(投げる、たたく、ける…) ………………… ボールなど

今の環境では、これらを毎日体験するのは困難です。そこで考え出されたのが幼稚園の遊具です。幼稚園遊具は、実はそれらの自然環境を擬似再現しているわけです。(公園遊具とは目的が違います)

遊具の中には危険なものも確かにあります。しかし、リスク(予測可能な危険)とハザード(予測不可能な危険・潜在的な危険)の両方をひとまとめにして危険だからといって排除してしまったらヒトは人間にはなれなくなってしまうのではないでしょうか。

リスクとは遊びの楽しみの要素であり、子供の発達に必要な危険性です。子供は経験的に危険を予測し、事故を回避する能力を身に付け、この積み重ねが運動能力を高めさせ、さらなる挑戦と楽しさへとつながるはずです。 また、幼稚園遊具におけるハザード(破損・腐食・突起物など)は、できるだけ排除することが大切です。

布佐台幼稚園では、このような科学的な視点に立ち、幼児期に獲得すべき運動機能(遊び・オリジナル開発遊具)を提案しています。

 

格差広がる公立小中学校の教育

2002年より公立小中学校で完全学校週5日制が実施され、その趣旨は『家庭や地域社会での生活時間の比重を高めて、主体的に使える時間を増やし、「ゆとり」の中で、学校・家庭・地域社会が相互に連携しつつ、子どもたちに社会体験や自然体験などの様々な活動を経験させ、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力などの「生きる力」をはぐくむ。』とされましたが、現実は「ゆとり」が学力低下を招き、「生きる力」も弱まってしまったようです。危機感を抱いた親たちは私立を目指して進学塾に通わせることも地域によっては珍しくなくなりました。

教育特区の世田谷区では、平成19年度から教科「日本語」科を区内全域の小学1年生から中学3年生までに導入しました。(関連ページへ)「深く物事を考える力・自分の考えを表現する力・コミュニケーション能力・日本の文化や伝統への理解する」ことをねらいとしています。この教科書には小学1年生から「漢字かな交じり文」で書かれた俳句や百人一首、詩や漢詩が載っており、漢字の成り立ちの紹介もあり、美しい日本語の響きとリズムを感じ取れるものに仕上がっております。これらを音読・暗唱することで脳を活性化・発達させ、語彙を自然に増やしていきます。 <漢字を教えるのではなく、漢字で教える> これはまさに「石井勲式国語教育」のことです。

また、学力テスト上位常連県の福井県は2009年から県教育委員会主導で漢字の習得に全県を挙げて取り組み「こども漢字教室」などを開催して漢字に興味を持たせる努力をしています。 

区市町村によっては土曜休業日に月2回のサタデースクールを実施したり、夏休みの日数を少なくして2学期を早めたり、始業式から6時間授業が始まり終業()式の午前中に授業があったりします。学校によっては漢字・英語検定に向けての取り組みがあったり、宿題が充実していたりします。また、その反対に年間を通して宿題がほとんど無かったり、学期末前の数日が未だに短縮日課のままの学校もあります。公立学校で本来あってはならない地域による教育格差が広がりつつあります。 

布佐台幼稚園では、小学校で必要とされる学力の基礎基本となる能力の開発を目指しております。その中心が言語能力の育成です。たとえば、俳句や古典の暗唱はそれ自体が目的ではなく、前頭葉(前頭前野)を活性化するための手段だといえます。楽しく繰り返すことで記憶・暗記等の回路網を構築させ、多種多様の知識を吸収・統合し、創造力などの「生きる力」を生み出すしくみをつくることに役立っているのではないかと考えられています。脳科学の進歩により今後はさらに解明されていくはずですが、本園では子供達で実証済みです。卒園児達がスポーツで全国大会で活躍したり、市内で昨年に続き演奏会を開いたり、プロのピアニストとして活躍していたり、超難関大学に多数進学していたり・・・。

これからの国語教育は大きく変わっていく、はずでした。以前の文部科学省の国語審議会の報告書に「3歳~12歳は漢字の読みを重視し、語彙を増やす」という方針が打ち出し出されたように、”中学校卒業までに習う全ての常用漢字(約2,000字)を、小学校卒業までにすべて読める(書けるようにするのではない)ようにする”ことを推し進めることが確認されました。これは学習の基盤となる言語・表現力などの基礎・基本を確実に身に付けさせるということです。しかしながら、この後、厚生労働省は“全ての女性が輝く社会”の実現のために、子育て支援と称して全母親の就労支援を強力に推し進め、乳幼児の長時間保育(幼・保)、学童保育・放課後クラブの設置(小学校)に猛進しています。乳児期から母子を引き離す施策は家庭教育を崩壊させ、日本を滅ぼすことになると懸念しております。 

文科省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会」の報告書(Ⅲ章 2 では、家庭教育・幼児教育の重要性を認めています。

子供の心の問題の解明と適切な対応のため様々な機関が連携し、我が国の緊急検討課題として今後の審議会に検討され、科学的に子供の発達・教育を体系化された教育課程等の作成を期待しています。

 

適時教育とは

布佐台幼稚園では、このような脳科学の視点から、「心を育むこと は、脳を育てること」 と捉え、石井勲式国語教育法(言葉の教育)とミュージックステップを毎日取り入れ、前頭葉を発達させていく「科学的幼児教育」(適時教育)に40年余にわたって取り組んでおります。

さらに、豊かな自然環境を生かした自然体験教育では、芝生園庭で寝転んだり、冒険の森でターザンごっこ(アスレチック遊具)をしたり、園に隣接する農場で、園児が植えた薩摩芋(他に大根やじゃが芋)などを収穫したりしています。お茶摘みなどの体験も毎年行い、土・虫・植物などの自然に親しむことを大切にしています。これは、自然体験の多い子どもほど、思いやりのある子に育つといわれているからです。また、運動面でも広い園庭(芝生・地域最大級オリジナル開発遊具)のなかで思いっきり遊びまわれます。

こうした「適時教育」(科学的幼児教育)は、いわゆる「子ども中心の保育」(自由保育?)とは一線を画すものですが、これからの日本を立て直すために、この教育は重要であると確信しております。 

幼児教育は国家戦略

ギリスのブレア元首相は以前の選挙戦で国民に対し “一に教育、二に教育、三に教育”という国家政策を掲げ、民衆の支持を集め当選を果たしています。

政府与党も選挙公約(2005年)の中で、はじめて「幼児教育を国家戦略として展開する」という文言を、教育改革の第1番目に位置づけ、2019年からは幼児教育の無償化を実施しました。お茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦氏は、著書のなかで、「一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数」と述べられ、国語教育の重要性を訴え続けてています。

しかしながら・・・・

我が国では平等主義?なるものがはびこり、スタートラインを同じにするために幼児期は思う存分遊び、知的な学習は小学校に入学してから始めればよいという考えが長きに渡り教育界を席捲してきました。そんななか、政府の政策(男女雇用機会均等法・男女共同参画社会基本法)により家庭教育に大きな変化がもたらされ、幼児の発達にこれまで以上に格差が生じる事態となりました。発達の違いは、幼児期の生活や経験の違いに起因していることはかなり以前から認識されていたはずですが、日本の幼稚園・保育園では日本だけが未だに「遊び」に固執しています。

この背景に、学力低下を招いたゆとり教育や総合学習の導入があり、歴史教科書にも日本を貶めるような記述が見られるようになりました。伊藤博文を暗殺した朝鮮のテロリストの青年が英雄として教科書に1ページを割いて紹介されたり、偽りの事件をでっち上げ、日本に謝罪を求めたりする国もでてきました。また、多くの日本のマスコミや野党が反日報道をしたり、日本の国益を犯す近隣諸国に対して悪口を一切言わなかったりと、教育・マスコミはどうも反日の色が濃いようです。日本人の子供の学力が下がれば日本の国力は低下します。喜ぶのはどこの国でしょうか。

私たちは、このような教育界とマスコミから子供達の未来を守っていかねばならないのです。日本の子供達の未来を担保できるのは幼児期の教育のはずなのですから。

大変長くなりましたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。幼児教育が国家の話へといささか話が大きなってしまいましたが、今の日本を立て直すには『人生で一番大切な時期』 乳幼児期の教育が重要であると考えております。「適時教育」をすすめる本園の教育思想に、ご賛同くださる方のご入園をお待ちしております。( →目からウロコ )